ある予備校の先生

ある予備校の先生がおもしろいことを言っていた。今でしょ先生が予備校の先生の条件とか言っていたのに反発した発言だ。

総理大臣になったわけでも、医者になったわけでも、弁護士になったわけでもない。官僚になったわけでもない。予備校教師と言うのは所詮落ちこぼれだ。だからこそがんばって飯を食っている。だからみんな一緒でたいした違いは無い。えらそうなことを言うなという趣旨だ。

そのとおりだと思う。本当に賢ければ、大学教授や官僚や医者や弁護士ぐらいにはなっただろう。塾もそうだ。そんなに賢かったらほかの職業についている確率が高い。

教えることにプライドを持てばいい。高学歴の講師ほど人を見下すことがあるとその先生は言う。

職業には貴賎は無い。ただ言いたいのは、教える仕事を生業にするとプライドだけが肥大化する危険があると言うことだ。

変わり者の合う職業が、塾や予備校の教師だと思う。そうでないとやっていけない。だからこそおもしろい職業だ。自分より賢い子に育てて、社会に送る。普通の人間がずっとやれる職業ではない。不安定感抜群な職業だ。笑。

変人とは悪い意味ではない。変化をもたらすと言う意味もある。自己完結型のただの変人では続かない。子供も賢い。ついていかないだろう。笑。子供を変化させることが出来ないと仕事にならない。

下克上を起こすのが、受験指導者のおもしろさだ。出来なかった子の成績を上げる。無理だと言う子を合格させる。ありがとうございましたと言われてなんぼの仕事だ。むつかしいが。

その予備校の先生は本音を言っている。指導者は、指導者として一流を目指すべきだが、所詮落ちこぼれだ言う自覚があったほうがいい。そうでないと努力もしないだろう。

伊藤和夫先生という英語の伝説の先生がいる。こういう予備校の教師は、本物の指導者だ。どこの世界のもすごい人がいる。こういう人は、レベルが違う。

人を育てると言うのは、上から引っ張るだけではない。下から支えるわけだ。だとすると、指導者は、自分はたいしたことが無いという自覚が必要だ。そうでないと上から目線しかなくなる可能性が高い。

自分で学習していればいるほど、たいしたことはないというのは分かるはずだ。

時々勘違いした指導者がいる。

プライドがどこにあるかで人間かなり変わる様な気がする。