大丈夫か文部大臣

ある塾の塾長のブログを見ていて、自分のへなちょこブログと違って立派な文章に感動した。大野龍一と言う方だが、こういう人が塾長をやっているのか、作家になったほうがいいのではないかと思うほどの文章力だ。祝子川通信というブログだ。

そこで書かれたことだが、まさに自分も同意見なのが、今の文部大臣の献金問題だ。下村さんは、昔塾を経営していた。何で文部大臣になったかは知らないが、昔から塾関連の団体に顔を出していた。

いろんなことで疑問に思うことが多い。特にすららと言う映像教材が文部大臣賞を取ったのを見て彼の顔が浮かんだのは、自分だけではないだろう。あれで文部大臣賞とか、日本の教育レベルが馬鹿にされるだろう。

そもそも私企業が作った教材に、国家権力者の一員の文部大臣が賞を与えることはおかしくないだろうか。政治献金が、脳裏に浮かんだ。

簡単に言うと塾との癒着だ。

塾のいいところは、自由に子供を育てることで、学校と違って縛りがない。国家権力と癒着したり、学校とつるんだりすると言うのは、金のためというのが前面に出て、塾と言う存在価値がなくなる。

入るのも自由、やめるのも自由。学校みたいに縛りがないから、学校が出来ない教育が出来る。そういうのが、塾と言うものだろう。それが塾のすばらしさだと思う。それがないと塾の経営とかつまらないだろう。

いつ潰れるか分からないから、指導法とか改良や改善するのだろう。これが、なくなったら塾の存続は、危ういのが道理だが、別のベクトルで生き残りをかけるのかもしれない。

金儲けだけのためとか、国家権力とか、学校と癒着して、いいように経営して金儲けがうまい塾だけがでかくなるとしたら、というよりそういうのが多いが、公教育のひずみをうめるとか、あわないこの救済とか、本来塾が持っている社会的価値がなくなるだろう。

塾が彼の関連団体に献金しているとしたら、塾というものの本質を忘れている気がする。

世の中そんなきれいごとではすまないよ。というかもしれない.

でももっと金儲けのできる仕事はいっぱいあるよ。何か使命感みたいなものを塾をするなら持っててほしい。

それにしても文部大臣とかクリーンでないと。無理な話だろうが。