ほめて伸ばす

昨日浪人が自分のやった問題の過去問に点数をつけて、机の上においていた。その前も、別の子が、過去問やって初見でいい点数とっていたのを、見えるように置いていた。

帰ったあと自分が、教室の掃除をして机の上も見るのを知っている。点数がよかったら見せ、悪かったら見せない。中学生もよかった成績表は見せるが、悪かったら見せない。

自分の子供もいい成績とったら、机の上においていたものだ。模擬試験でよかったら、いつも持ち歩いていたくらいだ。子供は、ほめてもらいたいのだ。人間誰でも死ぬまでほめられたい生き物であることは、変わらない。

単純な部分があるからいいのだと思う。子供の部分を大人でも持っている。自分も、ほめてくれた先生のことは、今でも忘れていない。お世辞でほめられているのか、本気でほめているのか子供もほめられているのかわかるはずだ。

努力もしないのに、また態度の悪いのは、厳しく言う。自分は、塾が好きなのは、本音と建前を区別できない人間だからからかもしれないなと気づいてきた。思ったことをズバズバ言う。

昔、塾生が、塾長は、塾長として生れてきたような気がすると言った子がいた。ほかの仕事とかやってたらうまくいかないだろうとおもう。神様に感謝したい。笑。

子供はそれを知っていて自分がうそでほめることはないとわかっているのかもしれない。でも子どもが努力して伸びたら心からほめてやるし、そうすれば子供はますますやる気を起こす。

学力は,やり方も大事だが、やる気も大事だ。指導者として今までやれてきたのは、こどもをうまくほめてきたからかもしれないなと思った。

不思議なことに自分の子供に対しては、うまくほめてやれなかったような気がする。これは、自分だけでもないようだ。

子供は、ほめて伸ばすほうがいいのは間違いない。でも努力もしないのにほめることはできない。伸び方を教えて、それを実行して結果が出たら、ほめる。

ほめなれた子とか社会に出たら弱いと言うのは間違いだ。本当にほめられたことがないからかもしれない。ちやほやされるのと心からほめられるのは違うだろう。

ほめられた経験が、生きる支えになることもあると思う。