教科書の威力

教科書と言っても高校の教科書にはいろいろなレベルがある。数学なら、同じ出版社でも3種類ぐらいある。理科でも、詳しいのとそうでないものもある。詳しいのがいい。社会なら山川とか定評のあるものがある。国語も古文とか漢文なら学校で使うのにいいものがある。

中学の教材は、塾教材が充実している。高校のものは塾での需要が少ないので塾専用教材で、これと言うものは少ない。中学は、塾教材使うほうが力がつくと思う。高校は、違う。

何度も言ってるが、高校の教科書は基礎が凝縮して最初は読みつらい。予習をできるのは、中学までの人が多い。参考書が、多く出回る理由は、教科書読んでもわかりにくいからだ。教科書たとえば理科とか社会読んでも言葉の定義がないことが多いから、用語を調べながら読まないと苦しい。これをやり始めると時間がかかる。しかし教科書が読み込めるようになったら、ほかの本とは違うパワーがつく。無駄がないのと基礎の枠組みがはっきりするからだ。

中学と高校では、学習量が何倍も違う。

教科書を授業で詳しく教えるのが学校の先生の仕事だが、これがうまくいっていないことがある。こういうのは、はたから見ていてはわからない。いい先生もいるしそうでない人もいる。不思議なのは、一科目しか教えないのにどうしてわからない授業とか存在するのかと言うことだ。中にはまったく教科書使わない人がいる。

自分は、教科書がどれほど大事か身にしみてわかっているつもりだ。だから、高校の教科書それ自体を詳しく解説した教材を、数学と理科についてつくってきた。こういう科目は、予習しないと苦しいし、すると学校の授業も生きてくる。

昨日塾生の高2が、うれしそうに数学定期で100点だったと自分から言ってきた。前はどうなのと聞いたら、70ぐらいだと言う。教科書の解説をパソコンで聞かせて教科書の問題を全部やっただけなのだ。

理科は、F大先生のすばらしい教科書解説で、すばらしく成績があがった子どもが多い。浪人生に聞いても、授業より何倍もわかりやすいと言う。自分も時々聞くが、学生のころこれを聞いていたらどんなによかっただろうと思う。

浪人生も教科書だけで基礎は十分だと言う。理科と社会は特にそうだろうと思う。高3に聞くと教科書の重要性を学校で言わないらしい。高3だからわかっているだろうとかまったく虚構の世界だ、実態が見えていない。驚くほど基礎ができていない子が多い。基礎が入ればいやでも伸びる。

センターで平均が500も取れない子が多いのは、教科書をさらっと見ただけでおつむに基礎が入っていないからだ。世の中不思議だ。予備校も教科書を使わないし、学校も最後は無視だ。教科書しっかりやってますと言うと何やってんだと言うことだろう。

でも国立の2次の各科目の傾向分析に教科書の大切さが書かれていることが多い。基礎ができていないと伸びない。これが何処に書いてあるか見失うと金と時間の無駄と言う学習になる危険がある。塾とか有名どころに行きたがるが、人のおつむと自分のおつむは別物だということが分かっていない人が多い。むつかしい問題やって自己満足。でも、基礎の集合体が難問だ。東大の問題解くとわかるが、基礎がどれだけ重要か分かる。

世の中よく見たほうがいい。本質をはずすと成果は出ない。世の中不思議なことがいっぱいある。教育の世界も同様だ。

誰も教科書だけですむといってるわけではない。何でも順序があると思う。やらなきゃいけないことを飛ばして先に進んでも、本当の力はつかないし、ある程度やったら伸びなくなるのが普通だ、

これを演習でごまかす学習が多すぎる。そっちのほうが受けがいい。教えるほうもらくだ。でも成果は出ないことがあるし、うまくいくこともある。でも帰る家がないような学習に近くなる。もっと言うと基礎ができていない人は、太平洋を羅針盤なしでこぐような状態になる。

たまたま通用したやり方かどうかかもしれない。教科書を基底とするほうが学力もだが、受験で成功する確率は高い。出題者は、教科書見ながらつくる。基礎に帰りながら応用問題やるほうがいいと思う。