センター375点からの出発で国立医学部へ。

塾を30年もやってると伸びた子とかいるのは当たり前だが、あいつはよくここまで伸びたもんだと指導する方が驚く子供がいる。何人かいるが、ブログで書くのは、自慢するのを目的にしているわけでもない。少しはあるが。笑。

子供すごい潜在能力があって、本人が、向上心と素直さがあればこんなに伸びるのかということを知ってもらいたいのだ。

そんな中にS君がいる。

今年たまたまある近くの病院に行ったら、ある医者がニコニコしてこっちをみている。そこの病院は、3人ぐらいの個室があるので、その医師に診断してもらうことになった。

先生Sです。先生お変わりありませんねという。20年前、教えた塾生だった。最初はイケメンの医者だなと思ったが、誰かわからなかった。なんか昔より随分立派に見えた。偶然に会ったわけだが、いろんな話もした。不思議なもんだと思った。

その子は、広島の宣教師になるための、キリスト教の牧師の子供が集まる学校に行っていた。たまたま知り合いに薦められて、高3の夏に講習を受けたらしい。、浪人したら自分の塾に来たいと言っていた。浪人が決まって、塾に来ることになった。

そのころは、テープ学習を始めたころで、浪人生の面倒は見ていなくて、どうしてもというので昼間適当に来て夜まで教えることにした。そのころは、塾生の多くはテープを使って自習させる形式で指導した。本人の志望は、国立の医学部だった。

その子の学校は、国立大とか行く子はいない。ましてや医学部とか誰もいないという。夏期講習後にもがんばったが、センターの得点は、375点だったらしい。800点満点で。でも学校では、一番だったという。

いくら何でも国立の医学部は無理ではないかと正直思っっていた。でもテープ学習の威力を試してみたいと思った。そのころは、必死に作って、その子に合わせて受験に必要なものをつくっていたような気がする。

英語とか中学から始めた。数学は教科書から。理科はその子に任せた。国語も古文とか漢文も基礎から、。社会とかは自分で。テープをつくっては、聞かせて反復させた。

数学は,教科書終わってから、寺田ぶんこうさんの鉄則シリーズで例題学習をさせた。それから、全国の入試問題集で全国行脚の旅に出た。11月ごろには、偏差値37,2が73まで上がった。これは本当に驚いた。数字を覚えている。数学ができないと国立の医学部は無理とわかっていたので、最優先事項だった。

その子も反復をよくする子だった。

理科も全国行脚の旅に出させ、英語は単語と熟語をテープを使って、何度も反復させた。塾恒例の過去問反復で、コピー代その子だけ別料金でもらいたいほど、演習した。

その子があるとき、塾長、阪大の問題7割解けました。とうれしそうに言ったのを、今でも覚えている。

センターは675点まで伸びて、琉球大の医学部に合格した。その子が、この塾にいかなっかたらどうなっていたのだろうと、受かってから寝るとき、時々怖くなると言っていたのを思い出す。校長先生が、かなり喜んでいたらしい。どんな勉強してそこまで伸びたのか不思議がっていたらしい。

その子の話によると、九大の大学院に進んで、ほかの病院に勤めていたが、やめて、今から外国に行く準備をしていると言っていた。たまたま家に帰って来ていて、少し知り合いから頼まれて今日はここにアルバイトで来ているだけだと言う。

出会いによって人生は変わる。塾の出会いによっても人生は変わる。