科目の指導と受験指導

ひとつの科目を詳しく知り、深く掘り下げて分かりやすく教える人がいて、参考書とか書ける人は尊敬する。特に教科書を分かりやすく教える学校の先生は、いい先生と思う。塾生に聞いても分かりやすい先生もいるようだ。

でもその科目を教える人が、1つの科目しか教えられないなら、その科目の指導はできるが、受からせる受験指導はできないと思う。複数の科目を指導できないと見えない世界がある。

世の中の常識は、その専門の先生がいっぱいいて受験指導したほうが、合格しやすいと思っている。だから、大きな学校や大手の予備校を信じている。上の高い学力のほうはまったく問題はないことが多い。

しかし合格率とか、母体数とかはほとんど見えない。上澄みしか受かっていない場合もあるが、一般には見えない。伸びないのは、個人の責任ということになりやすい。基礎から積まないとまずい子は、お客さんとかになりやすい。でも10人いて8人受かるより、5000人いて500人受かるほうが、安心するのが日本人は多い。どうでもいいが。笑。

一科目が専門の人が教えると、その科目しか見えないので、受講するまた教えられる方は、課題とか宿題を出される。それをしっかりこなせられる能力と理解力がある子なら、問題はないが、見るところ,課題に追われているだけで、本人も何をやっているのか段々分からないような学習をしている高校生も多い。処理するだけで精一杯というわけだ。基礎とかはおつむには乏しい状態になっている。

大手の予備校にかよっていた子が言うには、ひとつの科目に複数の先生がいて、言うことが違うのでどちらを信じていいのか分からなくなったと言う。ひとつの科目で、こういうことになると方向性が違うので混乱する。

金持ちの子の浪人生でも家庭教師を複数つけて宿題に終われるような笑えるような学習をする子もいる。そういう間違った学習をさせるのは、親にも専門性が必要だと思いこむ人が多いからだ。一つの科目だけ苦手な人は、そういう人に教えてもらうといいかも知れないが、複数になると大抵伸びない。そういうのをいっぱい見ている。

専門家はすごいし、尊敬する。でも専門の人というのは、総合調節の感覚の鈍い人が多い。だから、専門家になれるともいえる。受験指導とか、興味もないだろうし、適性もないことが多い。

家庭教師でも本当にいい先生は、受験指導上各科目の学習の総合調節のできて、ある程度の科目を教えられる人だと思う。そして各科目のやり方考え方を教えられる人だろう。

テレビで林修先生が、受験指導ができる予備校の先生といえるためには全部の科目をある程度教えられて、特別ひとつの科目が図抜けている必要があると述べていたが、まったくそのとおりだと思う。そうでないとほかの科目にしわ寄せが来る。

縦割り行政のように、ひとつの案件について、総合調整のできる機関がないので、段々ことが大きくなるのに、何も解決できないのに似たことが教育の世界には多い。

自分も塾生指導上、やったこともない科目を学習し直したものもある。たくさんの科目を教えないと大学受験生徒の指導はできない。でもどうしようもない科目は、F大先生のような人の力を借りる。ほとんどの科目を教えられるようなシステムつくってきた。パソコンの力を借りないとできないが。人が教えたほうが良い訳でもない。局面によって異なる、

言いたいことは、大人数が集まって教えるから、合格しやすいわけでもなく、指導者が少ないから合格させられないわけでもない。しっかりしたシステムなら少数の指導者でも十分伸ばせるし、目が行き届くので、伸びる確率はかえって高いと思う。

受験指導とは、その指導する子が、本番において、制限時間内に、複数の科目を綜合点において、合格点を取るようにすること。この一点にある。たくさんの指導者がいるから良い訳でもない。教えるのと伸ばすのも違うし、伸ばすのと受からせるのも次元が違う。

受からせようとするといろんなことを考えて、子供を指導する必要があると思う。

船頭多くして船山に登るが意外と多い。