受験合格の奥義

受験生指導30年以上、受験指導を続けているとどうすれば受かるのか分かってくるものだ。それからいろんなものが見えてくる。受験日に何ができるかから考えると分かりやすい。

受かれば官軍、不合格なら賊軍。落ちた人の気持ちもよく分かる。一点差でも、受かると落ちるでは、天地の差ほどある。トップで受かるのと、どべで受かるのでは、点数差に開きがあっても大学受験なら同じことだ。 自分も惨めな気持ち、絶望感とか経験した。その分子供たちに志望校に合格してもらいたいと思ってここまでやってきた。今から振り返るとひどい学習をしていたもんだと思うことがある。それが、塾生指導で生かされることが多い。笑。

合格したときのうれしさは、格別だ。親も自分のこと以上にうれしいものだ。そのためには、学習のやり方進め方を知り、毎日こつこつと実行するべきだ。難関になるほど積み重ねがないと合格はむつかしい。受験前は、誰でもがんばる。でもお天道様は、公平に見ているような気がする.どこかでしっかりつじつまを合わせる。やった分だけ、学力の貯金をしたぶんだけしか、しかもまともな学力の貯金をしないと、その分しか成果は出ない。受験日でなくてもあとから出ることもある。

世の中の常識が、非常識なことも多い。特に、突き詰めると、教育にも受験指導にも、いっぱいあると思う。非常識では、成果は出ない。理にかなったものでないと成果は出ない。当たり前のことが、当たり前でないことが多いのだ。

本番で合格点を取れるように、試験当日から、逆算して計画を立てること。そして、本番の緊張状態を想像しながら学習することが大切だと思う。受験生なら、本番を具体的に想像して学習することだ。試験問題が配られる。時間制限がある。ベルが鳴る。試験時間内に、問題を解く。時間が終わる。やめなさいの声。想像しながら学習をするべきだ。

どう学習すればいいかも、逆算して考えると答えが出る。 受験合格の奥義は、基礎と過去問題の反復だ。これがまず頭に入っていないとまずい。基礎も反復しないといけないし、問題も反復しないといけない。そして、過去問と基礎の行ったり来たりの反復の確認で、自分の苦手な部分を洗い出して、出題傾向を知り、それに合わせられるようにすること。3つの学習の局面がある。三つ学習局面をバランスよくやっていけば合格の可能性は高まる。というよりほとんど受かる。意外と理にかなった学習をしていない人が多いからだ。基礎だけとか、問題だけとか、基礎に戻らないとか、しかも反復がたりない人が多い。

参考書オタクも受かるかもしれないが、まねはしないほうがいい。たまたま受かるだけだ。何が基礎か、過去の問題はどのくらいやるのか、どの問題集使うかは、微妙に人によっても違うし、受かる学校でも違う。これが具体的に決めないと反復ができない。手は、広げないほうがいい。 受験前に新しいのに手を出すようでは、失敗の危険が高い。

まともに正統的な反復という学習をしない人が多いから、能力とやる気と実行力があれば、学力の下剋上は短期間でも生れることがある。塾生見ても学校で受からないと言われた子を受からせたことは多い。塾は、そこが最高にやりがいがある。でも。直前に難関とか、EとかDを合格させるのは、当たり前だが簡単ではない。

基礎は何かといっても志望校によって異なる。たとえば,難単語を出す大学ならむつかしい単語も基礎になる。数学の証明問題を出すなら、定理の証明は絶対的な基礎になる。ただ、基礎は何かといえば、大抵教科書に書いてある。教科書を何度もやるべきなのだ。でもやれない人が多い。学校の授業だと1回かひどいのになると教科書使わない。これで基礎の完成に失敗することになる。センターは特に教科書が大切だ。

基礎は、教科書にあるから、学校の授業で使わなくてもしっかり読み込んだほうがいい。浪人生も教科書使わない人がいるが,基礎ができていないから浪人している人が多いはずだ。予備校のテキスト見るとこれではだけでは、基礎のできていない人は受からないと思うことがある。浪人しても教科書は大切にすべきだ。 特に社会と理科と数学はとくに大事だ。英語などは、やりきった人が、見るとよさが分かるが、使うのがむつかしいところがある。国語は、教科書は読み物だと思う。高校の教科書はレベルは、中学とは違う。行間を読める人の説明が必要だと思う。

過去の問題も反復すべきだ。慣れることも大きい。でも反復の目的は、本当のところスピードをつけるためにある。同じ問題を何度も解いて意味があるのだろうか。大有りなのだ、人間は、潜在意識がある。反復して速く解けるようにすると、この大学の問題ならいけるような気がしてくる。これは、基礎ができている人の話だが。いずれにしても過去の問題演習に入るのが遅すぎる人が多い。センターが終わってからの人が多い。

なぜ田舎の高校から、難関大とか医学部とかなかなか受からないかと言うと、基礎の入れ込みが遅すぎることが原因のひとつなのだ。ある予備校の先生が、現役の高校生で、私立の進学校が強いのは、高2の後半で基礎が終わっているからだと言っていた。そして、田舎の高校は、進度が遅いので、理科と数学は特に、予習を塾なり、ネットやDVDでするべきだと述べられていたが、そのとおりだと思う。先んずれば人を制する。

予習をして、早く教科書とかを終わらせて、それでたりるものでない。演習にも時間がかかる。まともに現役で難関大とか医学部に受かろうとするなら、田舎の高校の進度とかに合わせるようにするのではなく、前もって、準備をすることだ。そうしないと凡人は、難関には簡単には受からない。一度で修得は困難だ。反復する時間が必要になる。

本番から逆算して、考える。そして何をすべきか。どうすべきか、しっかりした考えを持って、学習すべきだと思う。親の協力も必要だと思う。長く来ている塾生は、合格率も高い。 小学校から学習した方がいいとか、予習したほうがいいとか言うのは、人の子だけでなく、自分の子も育ててわかったこともいっぱいあるからだ。

人任せにするのではなく、受験学習の根本をつかまないと、金と時間だけ食って、成果が出ないことも多い。 塾生も小学校だと思ったのが、あっという間に大学受験生になって、ふとした瞬間,光陰矢のごとし。時の流れの速さに驚くことがある。