決め付け

塾をやってて思うのは、子供の能力とか決め付けるとよくないと思う。能力を決め付ける言葉は嫌いだ。いいほうに言うならいいが、指導する人が、あれは国立は無理だの、浪人しても伸びないだろうと平気で言う人がいる。これはどうしてなのか。

こういう人が意外と多い。そういう人は教育者としては適性がないと思う。評価するのは誰でもできる。どうしたら伸ばすのかが問題だと思う。

評論家が経営してもうまくいかない。昔退職した校長が集まって塾を作ったが、3年も持たなかった。

昔は、浪人生は教えていなかった。というより教えられるようなシステムでもレベルでもなかったからだ。知り合いが娘さんを連れて、塾に来た。何の話かと思ったら、自分の娘を国立の歯学部にやりたいが、担任に言ったら、高1のときの成績から高3まで模擬試験の成績が落ちてきている。浪人しても受からないだろうから、後期で受かった国立の他の学部に行くべきだと言うらしい。どういう論法なのかさっぱり理解ができなかった。

その子に本当に行きたいのかと聞いた。本人の意志が固そうなので、学習のやり方の概略を教え、ある大手の予備校を薦めた。

そしたら、1年後、親とその子がうれしそうに合格の知らせを持ってきた。まだいっぱいあるが、決めつけが多い。

自分も授業でとか、個別指導で教えていたころは、正直その子の学力と素質とかが気になった。その子の学力が高ければ、やりやすい。基礎ができていない子を教えれば、どこから教えればいいのか最初は分からないことがある。伸ばすのは容易ではない。これは事実だ。

何度も説明しても分からないと正直こっちもきつい。子供もきついが、お互いがきつい。そういう経験はいやというほど味わった。その割には、伸びないこともある。人間が人間を直接教えていい場面とそうでない場面がある。直接人が教えたほうがよいというのもひとつの決め付けだろう。

今は指導の方法を根本的に変えた。自分の中では、今までの自分の指導法の中では、一番いいやり方だと思ってやっている。まず伸びの幅が大きい。

それはそれとして一番の問題は、今までだとその子の能力とか素質とか性格の素直さとか子供の側の事が気になった。もちろんそれが関係ないとは言わないが、これがそれほど気にならない。やればできる。これを繰り返せという組み立てさえしっかりできれば、子供は自分でやるようになった。後は時間の問題だけだ。

昔は、半分叱りながら、やっていたが、今は、子供の伸びを見ながらほめることが多くなった。やる気のない子は、もちろんしかる。そしてどうしようもないときは、金と時間の無駄ということで、退塾を薦める。そっちのほうが、相手のためでもあり、こっちのためでもあるからだ。

できない子もできるようにでき、できる子はますますできるようにするのが、塾の仕事だと思う。学校も本来そうだろう。

だいぶ自分の中では、子供の能力を決め付けることが少なくなった。決め付けるのは、伸ばす技術と自信がないからだと思う。

子供は、どう伸びるか何時伸びるか分からない。方向性とやり方と子供のやる気が合体すれば、すごいことになる。何度も経験させてもらった。子供は、捨てたものではない。指導する側とされる側が一体化すると激変することがある。

学力の下克上は、何時起きるか分からない。決め付けはよくない。塾の仕事には、ロマンがある。できない子もできる子を逆転できる。受からないという子を受からせる。

決め付けては何も生れない。子供は、どこから伸びだすか分からない。でも、伸ばそうとする働きかけがないのに、自然に伸びることは少ない。