どんな人間に育ってほしいか

毎日ブログを書こうと決めたものの書くことがなくなってきた。正直受験も大切だが、本当のところどんな人間に育ってほしいかというと、本音はちょっと違う。頭のいい人間はいっぱい見てきたが、頭がいい人間になるだけではまずい気がしている。

死んだおふくろは、よく先祖の墓参りに行く人で、先祖の命日には寺に行っていた。足が悪くなってからというもの、自分に車でつれて行けと言うことで、3ヶ月間で10回以上連れて行ったこともある。正直いい加減にしてくれと思った。しかし、親の影響は大きいものだとこのごろ思う。

当たり前だが、自分を含め人間というのは、ものすごい数の先祖のおかげで今がある。たとえば、10世代さかのぼるだけでその世代だけで1024名の先祖がいる計算だ.。直系だけで合計2046名いることになる、もっとさかのぼると恐ろしい数の先祖がいる。周りの人もどこかで同じ先祖にたどりつく確率が高い。人類みな兄弟というのも冗談だとは言い切れない。

死んだらどうなるか分からないが、少なくとも今時分たちが生きているのは先祖がいるからなのだ。そして確実に自分らもあの世に行く.。これはみんな一緒だ。

そう考えると、世の中で争ったり、さまざまなトラブルがあるが、元をただせば先祖とかを忘れ、自分のことしか考えていないことが原因のことも多い気がする。

自分も先祖を忘れることがある。でも世の中の多くの人が自分というのは何かを考えると先祖の存在を忘れるべきではないと思う。特に何か問題が起こったら先祖のことを考えるといい解決法が見つかったりする。

親しい塾生には、墓参りに行けとよく言う。受験で苦しかったりつらかったりしたら助けてくれるのは先祖だと思うからだ。力を発揮させてくださいと拝む。しかし力がないのに先祖も何もない。

もし合格しなくても、まだ勉強したほうが良いというお知らせと捉える。受かったら感謝して次に進む。必ず先祖に感謝して生きていると、あとから考えると導いてくれてるように思うこともある。自分の息子の受験のときは連続4日間墓参りに行った。笑。

あとから考えてつらかったことが、今の自分にとって必要なことだと分かるかもしれない。そういうことがいっぱいある。不思議な力を感じることがある。人間の意志力だけでは限界がある。特定の宗教を信じているわけではないが、そう感じるひともいるはずだとおもう。

どんなに優れた頭脳を持っていても、先祖とかに感謝できないようでは、さびしい気がする。どんなに学力があろうが、人間たいした差はないと思う。年を重ねるほど心がけの差は大きくなると思う。先祖に感謝できると周りにも感謝できるようになる。そして、助け舟が不思議と現れる。おかげさまとありがとうは、大切なことばだと思う。

どんな人間に育って欲しいかと言うと、先祖に感謝して、自分に与えられた能力を人のために使って、周りに感謝しながら生きていけるような人間だ。なかなかむつかしいが、少なくともあの世に行くのが、近くなったら人間そう思うほうがいいとおもう。

たまには、墓参りも大事だと思う。