守破離

守破離とは、どういう意味か。ご存知だろうか。武道でよく使う言葉だ。守は師匠の言葉を忠実に守る。破は、型を少し破って自分の独自性を出す。離は、自分なりの世界を作るという意味だと理解したい。

これは学習にも当てはまるとおもう。学習において、指導者の言うことを素直に忠実に聞いて実行する。これがまず最初に大切だ。もちろん指導者になるなら通り道をしたほうがいい。いろいろ失敗しないとどういうやり方がいいのか分からないからだ。

でもそうでないなら、それなりに経験をつんだ指導者につくほうが失敗しないだろう。成功する型というのがある。これは、指導者がいろんな子供を指導する経験の中から学んだことで、子供たちから学ぶことも多い。

指導者につかないで自分でやるのもいいが失敗の危険性も高い。指導者が、間違っていることもあるし、何でも指導者の言うことを鵜呑みにしてよいわけでもない。しかし、それなりの経験と実績を持つ指導者は、指導の手法は違っていても、似たような方向性を示すはずだとおもう。

指導者について、指導してもらう最初は素直に忠実に聞くことだ。そのうちに自分なりの性格にあったやり方を編み出す。そして指導者を超えることもある。自分の経験でも、自分を超えたなとおもうような瞬間を何度も経験した。そういう子供は、確実に難関に受かる。こういう感覚は、塾とか予備校の指導者でないと分からないかもしれない。

子供が自分を超えたと思える瞬間は、はっきり分かる。受験なら、解くスピードと正確さだ。そのあとは、ほめることが仕事になる。そして子供は、別人のような学力をつける。子供が、伸びるのは、子供自身の努力と積み重ねであって、環境ややり方とか方向性を示すのが、指導者の役割だろうとおもう。自主的に、自分のやり方で題材を組み合わせる力が、つかないと子供は伸びない。指導者が、自主性を伸ばす方向でないと伸びない。

子供が家で勉強しないから宿題を出す。学校から宿題もらって喜んでいる親もいるらしい。塾も宿題を出す。こういうやり方は、小学校の低学年までのやり方ではないか。子供が学習をするのが、義務になる。将来、サラリーマンになってもいやいや仕事をして、給料のためにやっているみたいなそういうのと似ている。子供の能力を信じないと伸びるはずもない。分かって成績伸びれば、子供は、いやでも進んで学習するようになる。自主性が育たないと将来おまんまも食えない可能性が高い。学力の問題だけではない。

指導者は、子供の能力や学力を伸ばしてなんぼのもので、指導者が内容を教えるのと子供たちの学力を総合的に伸ばすのは違う次元のものだとおもう。もちろん指導者が質問を受けていつも答えられないようなら子供が、素直に聞けというのはむつかしいかもしれない。内容についても詳しいほうがいいが、それが決定的に重要というわけでもない。

なぜなら、子供が調べたほうがいいい場合もあるし、分からなかったらすぐ聞くというようなやり方で教えると自分で考えない癖がつく。バランスの問題なのだ。

また、指導を受けるほうは、素直さと向上心を持つことだ。素直さのある子は、伸びが大きい。そして、師匠を超えて、旅立つ。守破離が、理想だ。