歩留まり

歩留まりというのは、生産品のの不良品の割合のことだが、学習においては、歩留まりがいいというのは教えた内容の理解度や記憶量の割合が高いことだ。これは個人差があるのは確かだ。

教えてもやらせても確かに個人差がある。また、科目によっても同じ人でも違うもの。一般に能力が高いとか頭が良いとか言うのは、歩留まりがいいということだと自分は理解している。

歩留まりのいい子が集まっているのが、いい学校で、歩留まりが悪いのが集まっているのがそうでない学校というわけだ。だから、学校というのは、優秀な歩留まりのいい子を特待でとったり、大手予備校も学費を成績で割り引いたりあの手この手で歩留まりのいい子を集めようとする。

予備校によっては、学校と提携していて校長が退職したあとに、予備校の校長に天下りをしている例を実際知っている。こういう学校は、成績上位者を優先的に予備校に送り込む。

こういうのは現実でそんなもんだよと言われればそうだが、育てて伸ばすのが教育ではないだろうか。きれいごとではなく、歩留まりの悪い子でもやる気があれば伸ばすのが教育だと思う。そういう部分がないとロマンがない。

成績の悪い子で伸ばす方法はないものか。田舎の子でも都会の子を短期間で抜く方法はないか。歩留まりが悪くても、本人がやる気があれば、志望校に受かる方法はどういうものなのか考えてきたつもりだ。

個人の素質に依拠するのが、教育だとしてもそれを少しでも変える。常識的な方法から非常識な方法をとって、非常識な結果を出そうと努力してきたつもりだ。今からでもそういう方向で精進したい。でも、非常識が常識に変わることはいくらであると考えている。