学習は本を読むということが、大切だ。教科書を読んだり、参考書を読んだりは、小説や簡単な本とは違う。なぜか。書いてある内容が、初めて聞く言葉だったり、聞いてもイメージがわかないからだ。化学や物理の苦手な人は、言葉の意味がつかめなかったり、物質が固体なのか液体なのか分からなかったりする。本を読むとき、書いてある言葉の意味があらかじめ脳みそに入っていれば、つまりは、概念がつかめていれば、たいしたことはない。しかし普通それをよく分かっている人から説明を受けないとどうしてもイメージがつかめないのだ。そこを説明してもらうために学校はあるのだろう。つまり耳で理解するほうが楽に分かる。しかし、現実は、宿題と問題演習が中心の場になっているような気がする。教科書を丁寧に分かりやすく説明できる先生が最高の教師だと思う。

実際、元塾生で、旧帝大の大学院を出た人の物理や化学の音声のついた塾の教材を時々聞くのだが、目からうろこ、とてもよく分かる。耳で説明を聞きながら本を読むとどんなに分かりやすいものか体験したものでないと分からないだろう。集中力が続くのが一番大きい。タイムスリップできるなら、自分ももう一度やり直せるとおもう。でも本だけならやる気はしない。

苦手な科目というのは、言葉の意味が分からなかったり、基礎的な部分を理解していないことがほとんどだ。人の分かりやすい説明を聞きながら、本を読めるなら、苦手科目が、苦手ではなくなり、得意科目に変容することがある。

基礎もできていないうちから問題を解かせたり、宿題やらせたりしたところで、まったく力はつかない。基礎を身に着ける段階では、特に耳学問が大切だと思う。

本そのものを音声とペンで説明する教材の必要性は、今の子供には必要だ。特に教科書そのものを解説する教材の有用性は、塾生を指導していて、高いと思う。