教科書

どうやって学習すれば良いのか。学習は、原理原則というのがある。実は、自分は学生時代分かっていなかった。簡単に言うと教科書を軽視していたと思う。小学から中学受験して鹿児島ラサールに入ってからおかしくなった。学校が悪いのではないが、いろんな教材をこなさねばならない。しかも周りが理解力が半端ないくらい高い人が多いので、何をどうやって良いのか分からなくなっていた。特に理科と社会が酷かった。

学習というのは、基礎をしっかり身に着けてから、十分理解してから問題を解くべきだ。解けなかったら、もう一度基礎に立ち返る。これを守ることだと思う。基礎というのは、理科とか社会などは、教科書に書いてある。中学受験のころは、5千題という参考書を何度も読んだ。教科書だとほとんど対応できなかった。それがいけなかった.この時期に、教科書使ったところで学力はつかないととんでもない誤解をしていたような気がする。

高校の教科書は、それまでとは違って特に重要になる。

高校になると教科書を読んでも、特に理科はさっぱりだった。説明は自分で読んで調べてから授業に出ないといけないが、授業の進度が速いのとおつむの回転が足りないのとで大変だった。でも授業がすばらしかったかと問われると、お世辞にもそうですとは言えないような気がするが、実際はいい授業だったのかもしれない。同窓は自分で教科書や参考書を学習する力があったのだろう。たいてい東大や京大。国立の医学部に入学した。

教科書は、巻末を見れば分かるが、一流の先生が書いておられる。これは、大学の先生方だ、一行、一文に基礎が凝縮されている。よく教科書は無味乾燥と言われることがあるが、しょうがない。基礎が凝縮しているので無味乾燥になるだけだ。これを丁寧に解体し、膨らませて、分かりやすく伝えるのが学校の先生の仕事だろうと思う。残念なことにこれができていないことが多い。高校で教科書を使わず、自分でプリントを作ってやらせる人が多い。これで学力がつくことは少ない。見直しがしにくいし、目次がないことから体系的な学習がしにくいからだ。

自分たちの塾では、パソコンで教科書解説という教材を作っている。塾が教科書を解説しているというと、商売になりにくい。でも、高校生の大半は,教科書が分かっていない。教科書が分かったらどうにかなるというのが良く分かる。教科書は、何度でも読むべきだ。教科書は、どこまで押さえればいいのか基礎の枠組みが見えるのだ。参考書は不要なことが書いてあったりもする。教科書を基点とすべきだ。書いてあることが、頭の中に入ったら、少なくとも苦手科目にはならない。