親心

久しぶりに書くことにした。自分の子供もやっと今年大学生になった。まだ一番上の子は、ドイツの大学院で、バイオリンをやっている。まだ当分働かなくてはやっていけない。振り返ると子供の学費のために働いてきたような気がする。親という者は、子供が将来自分たちがこの世からいなくなっても、子供たちが生きていけるようにしてやりたいという本能みたいなものを持っているようだ。動物たちのの生態も、子育てのために仕組まれたような人生を送ることが多い。

親が自分を育ててくれたように、不思議と子供を育てたような気がする。親に反発したころもあるが、今となっては、親にどうにか生きていけるすべを与えてもらったことを感謝することが多い。学力をつけるだけで生きていくことはできない。でも今の社会において生きる力の中に学力も入るだろう。

塾生を指導していると、自分も親の気持ちが良く分かるから、どうにか学力を上げてやったり、志望校に合格させてやりたい気になる。いまでは、塾生の親がほとんど自分より年下だし、元塾生だった人の子供も増えてきた。昔より、親の気持ちがよく分かるようになった。特に大学受験で合格発表があると、無機質な数字が瞬間的に出てくると番号があるまで恐怖を覚える。親の気持ちで合格発表を待つ。

大学受験については、もっと危機意識を持ったほうが、田舎は良いと思う。塾を30年近くやっているといろんなことが見えてくる。高校を卒業して就職するなら話は別だが、大学受験は積み重ねと学習方法が大切だと思う。倍率は、高校入試の比ではない。

塾の経営上合格実績を出そうとすると、上位の成績の人を育てるのに専念しがちになる。でもこのごろは、成績の悪い子を上げることも目標にするようになってきた。というのは、成績が悪い子の場合成績を上げるだけで親が相当喜んでくれるからだ。今年も、そういう子を県立に合格させたら、子供が発表の報告に来てずっとないていた。成績がよく学力の高い子は、合格してもたとえそれが塾の力だとしても、それを認識できる親は相当な理解力のある親で、実際は少ない。受かったのが当たり前になることが多い。塾の技術の見せ所は、成績の悪かった子を上げたり、受からないといわれた子を受からせることにあると思う。

大げさだが、塾という仕事は、子供と親に幸福を少しでももたらすためにあると思っている。自分の子供が、受かった親の喜びは、自分のことでは味わえないほど大きなものだろう。