都城に帰って

田舎に帰ったのは、中学高校大学親元から離れ、一人で生活するのに疲れたからです。いまから考えると甘えもあったと思います。そのころは、ちょうど児童数も多い時期で、中野進学教室から誘いがあり、ラサール特進という一番上のクラスの国語を除く4科目を教えていました。その塾は、地区ナンバーワンで一番多いときは、400名を超えていたと思います。ラサールに1、2名宮崎西理数科に5,6名合格し、その子たちの多くは、国立医学部、東大などに多く進んでいました。ラサールに入った落合君は、東大理3に合格しました。中野進学教室の、全盛期にバイトできたことで自分のスキルは確実に上がりました。ただ、自分の経験から塾の指導理念に、疑問が出てきました。