学習の基本は、自分で考えてやるということで、人にわからないとすぐに教えてもらう習慣はかなりまずい。
なぜなのか理由がわかるだろうか。
1問題を解くために、問題文を正確に読むと言うことが必要で、これは本人さんでないとできないこと。文章を読んで、何が書いてあるのか、本人の脳ミソがすることで、他人が教えると言うのはむつかしい。読解指導が大切なわけはここにある。
2何を出題者が聞きたいのか、出題者の意図を見抜く。つまり出題者の気持ちを汲み取る。
3何を使って問題を解くべきか、基礎を浮かべる。基礎を習得させることは、最初の段階では、自分でやるのは効率が悪いことが多い。また自分で調べることも大事だ。
4そして、その基礎を出題者の意図、指示に従って組み合わせて、融合させて、これはセンスを磨く必要がある。
5、解答に導く。
このプロセスの中で、わからない問題というのが。1なのか2なのか、3なのか4なのかは指導してもわかりにくい。
本来自分でやらないといけないことを人に聞いているだけで、質問してわかったというのは、他人の頭を借りているだけで
自分で考えると言う思考が飛んでいることがある。質問の内容がすばらしいことがあるが、そういうときにはほめることにしている。
質問して、教えてくれた人の思考過程を学ぶなら価値があるだろうが、
質問形式だけでは、なかなか伸びないと塾をやっていてわかった。
伸ばすにはどうした良いのか深く考えた。
この塾のシステムは、わからない問題は、1から5までの過程を全てパソコンで説明している。1から5までの思考の過程を学ぶ。
最初は、まねだが、それをなぞることで、段々自分でできるようになる。
言いたいことは、1から5まで最後は自分で全部やれるように指導しようと考えているわけだ。
わからないところを聞くぐらいで、問題を自分で解けるようになるというのはかなりむつかしい。
解く人の思考過程を真似て自分の力で問題がとけるようになると言うのが、本当の教育だと思う。
学ぶと言うのは、まねるという意味が語源にあるのをご存知だろうか。
そうすることで段々自分で、全部できるようになる。これを目指しているわけだ。
基礎の習得から、思考過程の形成まで全部自分でやれる子どもと言うのはそんなにいないと思う。