教科書の重要性の違いに気付くことだ

小学生の教科書。中学生の教科書。高校の教科書。全部大切だが、

たとえば、中学受験をしようとしたら、教科書いくら完璧にしても、難関私立なら、まったく手が出ないだろう。もちろん、詳しい参考書や問題集をやりこむ必要性は高い。

中学生の教科書完璧にしたら、理科と社会と英語は、県立なら十分だし国語も数学も最低ラインは超えるかもしれないが、やっぱり問題集参考書が難関になればなるほど必要だろう。

ところが高校の教科書は、それまでとは違う。数学や理科や社会は、教科書それ自体の量も質も小、中とはちがう。それ自体を理解することが、急に困難になる。困難なので、

参考書が出回る。教科書読んでも何が書いてあるのか、用語の羅列なので、どの参考書がいいのか、どの問題集がいいのか、この議論がほとんどだ。基礎が凝縮している。

確かに問題集や参考書もいいのが多いし、自分もいろんな情報を仕入れる。ただ、高校分野の教科書たとえば専門化学とか物理とか日本史の教科書の厚さを見たら分かる。

これを脳ミソにたたきこむことができるか。この命題を解決することなく、参考書や問題集がどれがいいのかの議論になるのは、読んでもわからない。続かない。学校も面倒なので、プリントでごまかす。塾も予備校も教科書読めとは言うが、教科書は使わない。

現役なら学校で与えられた教材で十分と言うより多すぎることが多い。塾に行ってまたほかの教材。教科書読み込んだらいくらでもやってもいいが、どうだろうか。

小学生、中学生、高校生、そして浪人まで指導してみないと分からない世界もあるが、

教科書の重要度。大学受験は、基本教科書がメインになるし、簡単には、習得できない。

入試は教科書から出るからだ、基礎の組み合わせが複雑化しているだけだ。

いろんな予備校やネットの塾も出回っているが、高校の教科書の重要性が薄すぎる気がする

教科書を解説することの重要性。これが指導のポイントになるべきだと思う。

大学受験なら、教科書と過去問と問題集一冊ぐらいしかやり込められない。時間が足りないのが普通。やってもやらなくてもいい教材やっていることが多すぎる。

中途半端で消化不良。教科書分かっているつもり。

だから、力がつかない。そして受からない。無駄な学習はしないことだと思う。

冗談で言ってるわけではない。東大も教科書と過去問で受かる。受からないのは、無駄な教材に時間かけすぎで、過去問の問題演習が十分出来ていないことが多い。

自分の甥っ子東大生だが、過去問は相当やりこんだと言っていた。過去問は10回やってもいい。そこまでやり切っていないと凡人は落ちやすい。学校指導でどうなるものではないと思う。

これは塾生何千人も教えていての感想。能力がいくらあっても、反復が足りないと受からない。