授業形式

これは知らない人が多いだろうが、日本の授業形式は、フランスから来た。その基礎を作ったのが、聖ラサールいう人だ。宣教師の学校を作り授業形式を発案した。

今の鹿児島ラサール、函館ラサールのご先祖様だ。自分の母校のご先祖にも当たる。 貴族しか教育を受けられなかったのに平民にも教育の場を広げた歴史的意義は大きい。

授業のいいところは、大人数をいっせいに教えられることだ。そういう意味では、それまでより効率がいい。 効率性は、指導する側にある。寺小屋では、多くの人数を教えられない。 でも指導される側の効率性というのは、いろんなものがそろわないとむつかしい。

公立高等学校の授業で一番の問題は、同じ先生がずっと同じ科目を持たないことだ。転勤で、引継ぎがある。日本史の先生が、センター前に終わると言った人は、前任者が遅すぎて自分の責任ではないと言ったらしい。

でも逆に同じ先生で教え方のひどい人に3年持たれて苦手科目になったと言うのも聞く。

司令塔がいなくて好き勝手にやっている感じだ。 前の先生の進度が遅すぎると後の人が迷惑をする。塾生に聞いても教え方のうまさがぜんぜん違うと言う。うまい人とそうでない人。雑談が多すぎてすすまない人。 玉石混交なのだ。

いい先生に当たるかどうかは運しだい。高校特に普通科は今のままでは、無駄が多い。小学中学とは、違う。少なくとも義務教育ではない。 そんながくしゅうしシステムをいつまで続けるのだろうか。レールがどこで切断しているか分からない。

少なくともインプットについてはあまりにも効率が悪い。授業形式は、アウトプットつまり演習のときが機能する。だから、予備校は、インプットは自分でやれという。 インプットが十分でない人が多いのは、授業形式にも原因ある。そもそも教えるのがむつかしいのだ。

高校分野だとかなりきつい。だから宿題で丸投げしたくなるのもよくわかる。 でもインプットとアウトプットは、分けて考えないと学力はつかない。 授業のいいところとそれを補うものが理想だと思う。