5月まで塾生で6年間塾に通った子が、センターマーク模試で県全体でも1番か2番だった。900で837点。とにかく理系科目はほとんど教科書レベル、受験レベルも塾で予習していた。
親に言った。大学に受かったら実績にしていいですかと。6年間通ったのだからもちろんですと言ってもらえた。正直やることがなくなっていた。だから自分も納得した。受かるからがんばれと最後に言った。
授業の前に予習をするのとしないのでは、雲泥の差。こんな極端な例は少ないだろうが、
私立の進学校で、予習を塾でして授業を復習にすればどうなるだろうか。想像すると学校にもプラスになるだろう。
自分の息子の後輩で、医学部4浪で鬱になっている子がいて、時々電話をかけてくると言う。
それを聞くと、人事とは思えなく、かわいそうで仕方がない。鬱になる前に、高校時代から予習をしていたらそんなことにはならなかっただろう。基礎からやり直すといいが、それがたろうではやれなくなる。頭が良くても、負のスパイラルに入ると大変だ。気持ちがよく分かる。自分が苦労しないと人の苦労は分からない。
生き地獄と言うやつだ。坊さんの説教では救われない.。最後は、自分の力で這い上がってほしい。
自分の息子も苦しんだ。親も大変だった。だから親の気持ちもよくわかる。
ある意味現役で受かるのが、一番らくだ。頭だけの問題ではない。メンタルがきつい。
受験は、やり方もだが、学校に行ってるときが勝負だと思う。浪人してから学習を本格的にやるときつい。
学校の授業は復習にすること。学校に行ってるときにまともで力のつく学習をしないと自分の志望校には、なかなか受からない。
学校の平均とか見ると、悲しくなるほどひどい自称進学校がある。年追うごとにひどくなっている。550以上が3人しかいない。内部にいると分からない。学習が、力のつく方法とかやり方ではないからだ。
無駄に宿題と課外が多い。構造不況にますます陥る。
時間に比例して学力つくのは、やり方がまともなときだけだ。
時間だけ長くても成果が出るわけではない。課外とかまったく機能していない。
基礎から考える。理解する。反復する。苦手をつぶす。
やらされ続けてものびない。受身ではなく、主体的に。
ほとんど予習していないとできないことだ。
学習が、人のを写す。答えを写す。何でも人のパクリでは成果が出ない。
自分で考える力をつけるために学習がある。社会にでてからも同じだろう。
未知なる問題を解く力は、基礎を使って自分で思考してとく力。これをどうつけるか。これにベクトルの照準を合わせないといけないと思う。