基礎とは何か。

自分の塾生指導していて思うことがある。能率よくやるのはいいが、最初は丁寧にやるべきだとおもう。どういうことかというと分からない言葉や用語があったら、しっかりと調べたり覚えたりしないと反復したところでいい加減にやると結局物にならないとおもうのだ。

国語など苦手な子供を指導すると分かるが、漢字を含め意味を聞くとひとつひとつの意味を説明できないことが多い。読解力と言う前に、言葉の正確な理解ができていないのに文章の全体の理解などできるはずがないとおもう。漢字が大切なのが分かる。

英語とか、単語や熟語の意味を覚えていなのに、読解や英作の練習したところで何やっても物にならない。時間の無駄だとおもうことが多い。文章の読み方や文法の前に単語をある程度覚えていないと話にならない。単語テストしたところで復習しないとさっぱりと言う人は多い。

数学でも、教科書に書いてある公式とか定理をある程度覚えないと問題演習したところで時間の無駄だろうとおもうことが多い。

基礎とは、それぞれの科目の用語や言葉の理解つまり概念の把握にある。これができていないと話にならない。すべてはそこからだろう。でもできているというフィクションの世界で学習が構築されていることが多い。

書いたり何度も読んだりして基礎をつまり用語を正確に覚えないと、そして理解しないとその先は進まないとおもう。

でも不思議なのが、学習の世界は反復訓練を強調しないことがある。スポーツでは、同じことを何度でもやるが、授業だと一回で覚えているものとして進むし、そうしないと進まない。

だから、分からなくなる子が出てくる。でもこれはしょうがない。そういうシステムの上で学習しているからだ。

基礎は、何度でも繰り返さないと覚えない。これが普通の人間だとおもう。特殊な人間また反復作業を意識できている人は、別だが、凡人はこれを怠ける。だから、分かるようにするには、予習するか復習をってするしかないが、自分もそうだったが、いい加減で終わる可能性が出てくる。逆に言うと各科目の概念の正確な理解と暗記ができていて苦手な科目になりようがないとおもう。

各科目の基礎は、概念の正確な把握にある。これを意識しないと伸びない。これを早く正確に覚えると後が楽だ。でも目先の作業で終わる人が多い。

予習の必要性は、概念の理解と結びつく。