地獄の経営 そのほかの子供も、成績が上がる子が増えました。そして、新天地求めて、宮崎市内や鹿児島の国分に店舗を増やしました。それが、全部裏目に出て、家賃と人件費と諸経費を除くとほとんど利益が無くなりました。それを3年ほど続けました。…続きを読む
テープ併用学習の推進 ちょうど大手塾が進出したころ、わたしは、速聴に興味を持ち、人間の脳が、視覚と聴覚を同時に使うほうが集中でき、倍速を使えば能率よく学習できることに気づきました。そこで、小中高ほとんどすべての教科について、カセットテープに解…続きを読む
学習法の開発研究にいたる 大手塾の進出により、一番変化したのが上位層の変化でした。それまで、かなり上位層が入塾していたのが、その割合が減ったのです。よく調べてみると、各中学の上位は、無料や半額で、つまり特待制度により優先的に入塾させていました。そ…続きを読む
開塾してみて 開塾してから気づいたのが、生徒との距離です。講師の時代は、生徒と距離が近く友達の要素がたぶんにありますが、経営する立場になると、そこが微妙に変化します。どうにか、そこを切り替え、1年目には100名を越え、開業資金の返済も…続きを読む
独立のきっかけ 27歳になり、なかなか司法試験受からずこのままどうしようと悩んでいたとき、原田さんという方に出会いました。次男の浩二君の家庭教師を引き受けることになりました。ラサール中受験2ヶ月前です。不合格になる可能性が高いとの事でし…続きを読む
都城に帰って 田舎に帰ったのは、中学高校大学親元から離れ、一人で生活するのに疲れたからです。いまから考えると甘えもあったと思います。そのころは、ちょうど児童数も多い時期で、中野進学教室から誘いがあり、ラサール特進という一番上のクラスの…続きを読む
なぜ塾を始めたか 塾をなぜ始めたかというと、大学時代バイトで塾の講師をはじめたことがきっかけです。登戸にあった中村塾にお世話になりました。集団授業の塾でした。なぜか生徒に受けて人気講師になりました。中村先生は、今年お亡くなりになりましたが…続きを読む